「情理を尽くす」を考える。「情」とは?「理」とは?
情理(じょうり)を尽(つ)く・す
当事者の気持ちをよくくみ取り、同時に道理にかなうようにする。「—・した説得」
「情理を尽くす」の意味や使い方 わかりやすく解説 Weblio辞書
情理を尽くす、という言葉があります。
私が仕事を進めるにあたってとても大切にしている言葉です。
「理を尽くす」
理は数字をベースとした客観的な判断。
ビジネスである以上は結果が求められます。特に関係者を納得させるために数字ベースの定量的な分析とそれに基づく判断が必要となる局面が増えます。
私も経理・財務・経営企画と数値系分野での経験が長いためここは本当に大切にしています。
ビジネスでは数値に置き換えることができないものもたくさんありますが、仮でもいいのでなるべく数値化して客観性と検証可能性を模索しようと最後まで粘ることを意識しています。
例えば、「上司に不満をもつ従業員が多い」という問題があったとしましょう。
これもこの文章だけでは主観的過ぎて会社としてどう対応したらいいか分かりません。
せいぜい「そんな傾向は確かにありそうだな」とふわっとした印象を残すくらいでしょうか。
こんな問題もどうにかして定量化できないか、常に考えていきます。
そもそも上司への不満ってどんな要素で構成されるんでしょうか?
評価への不満
業務割り当てへの不公平感
指導内容への不満
上司の性格への不満
他にもいろいろあるでしょうが、このように要素分解を進めていきます。
そして要素ごとに仮の数値を置いて定量化するといった感じです。
例えば評価への不満であれば、
上司の人事評価の数値と、部下の自己申告数値との各項目の乖離率
業務割り当てへの不公平感であれば
部署内での業務量の個人別分布
(業務量=割り当てタスク×標準所要時間)
みたいな形で一旦数値化して、問題解決の議論のたたき台とするイメージですね。
もちろん、あくまでもたたき台であるため「その計算式はおかしいだろう」みたいな指摘を受けることも多々ありますが、その場合はどのような計算式を用いれば問題を可視化できるか議論をかさねていけばいいと割り切っています。
そして、問題点を一応でも数値化できれば改善施策のモニタリングが可能となります。
例えば、「上司評価と自己評価との乖離率をKPIとする」と決めたら、その数字を改善するための施策が初めて検討可能となるわけです。
とにかく仮でもいいので数値化、定量化しないとモニタリングできませんし、モニタリングできないものは「みなさん気を付けましょう」といったお題目で終わってしまう傾向があるのは皆さんもうっすらと感じているのではないでしょうか。
問題点を実施可能な施策まで落とし込むための道具。
それが私にとっての数字であり、それを突き詰めるのが「理を尽くす」ことだと考えています。
「情を尽くす」
ただ、このように数字に落とし込んで検討するというスタイルに抵抗感を持つ方が必ず存在します。
そんな方からは「何でも数字とか計算式で割り切れるものじゃないんだよ、数字屋さん」と皮肉を言われることもあります。
私も若いころはそんな言葉に反発して、言い合いになったこともありますが今ならその人たちの気持ちもよく理解できます。
評価への満足不満足や人間関係みたいなセンシティブで人の気持ちが絡んだ問題を、売上や利益みたいに簡単に数値化して欲しくないんですね。数字で表現することが難しい情の世界なんです。
そういう考えの人が議論において意思決定権を持っている場合にどうしたらいいでしょうか。
情に対して、数値ベース・定量ベースの話でぶつかってもこじれるだけです。
こんな時には私は、いったん身を引き日を改めて「ご相談したいことがあるので、お時間を頂けませんでしょうか」と個別面談を申し込みます。そして、その人の「人の問題」に対する想いをトコトン聞き出すようにしています。
同意も否定も意見もせずに、何時間でも傾聴に徹する。
あわよくば私のやり方(定量化、数値化した上での施策検討)について理解を求めよう、といった小狡い事は考えずにとにかく想いを引き出す。
これだけです。
これだけで、次の会議の時には相手の態度が軟化している事が多んですよね。
私の肌感覚では7割くらいは一定の理解を示してくれます。
じゃあ残り3割の時はどうしたらいいか。
その時は引き下がって別のやり方を考えます。自分のやり方に固執して、逆に社内不和を引き起こしたら元も子もありません。反対意見を持つ人と対話して、熱い想いを聞けただけで大収穫です。
これが私なりの情を尽くしかた。
「何だよ、聞くだけかよ」と言われそうですが、聞くだけです。
数字屋としては失格かもしれませんが、何でも数字で解決するわけじゃないことは当然わかっています。むしろ最後は当事者の想いの強さで決まる。
そして、そんな想いを誰も口に出さずに表面的な議論に終始しているのが一般的な組織の根本的な病理ではないかと思っています。
いろんな人が自分の想いを最後まで吐き出す機会が増えれば、組織はきっといい方向に向かっていくんじゃないかなと感じています。
そうなれば議論のたたき台を提供した数字屋としても本望です。
私はこんなスタンスで仕事をしています。